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伊達公子のインターハイ、ウィンブルドンそして引退

伊達公子のプロフィール

伊達公子は日本のテニス会でははずせない一人でしょう。

伊達公子選手は京都市で1970年9月28日に生まれた日本のプロテニスプレーヤーです。

伊達公子選手が本格的にテニスを始めたのは、竹内映二さんの父親である竹内穣治がオーナーを務める「四ノ宮テニスクラブ」でレッスンをはじめたのがきっかけだと聞いています。

伊達公子は高校時代は園田学園高等学校にて今は亡くなってしまった光国彰監督の指導の元、1988年のインターハイでシングルス、ダブルス、団体優勝の3冠獲得しました。

そのときの決勝戦で伊達公子は沢松奈緒子さんだと思います。

私も伊達公子選手の名前をはじめて聞いたのがこのころだと思います。

1989年 伊達公子選手はいよいよ高校卒業後はヨネックスのスポンサーの下世界を回りだします。

ツアーでも着々と成績を伸ばし

1995年、2月の東レ・パン・パシフィック・テニスで初優勝。

伊達公子とシュティフィー・グラフ


今でも語り草になっている二つの伊達公子を有名にした試合がこの年あります。

一つ目はリプトン国際選手権で準優勝のときです。

この大会では決勝でグラフに完敗したのですが、準決勝でガブリエラ・サバティーニを 1-6, 1-5 の土壇場から逆転し、1-6, 7-6, 7-6 で逆転。

これは伊達選手の勝負強さを物語る有名な試合です。

そしてこのコロからテレビとかマスコミに騒がれ始め

この年の全仏オープンで日本人初のベスト4進出を達成しました。

準決勝でアランチャ・サンチェスに 5-7, 3-6 敗れたのですが、この準決勝はテレビ東京系の午後9時から放映されそして11月に自己最高の世界ランキング4位を記録した伊達公子のピークの二年の最初の年でした。

このときに、フライデーだったかコーチで帯同していた丸山薫とできてるとかできてないとか、騒がれて、伊達公子のマスコミ嫌いがピークに達したときでもありました。

翌年というか最後の年になります

伊達公子のフェドカップ

1996年、4月27日 - 28日、有明コロシアムで開かれたフェドカップ

ワールドグループの1回戦でドイツとの対戦。

この日伊達公子は太ももを痛めていて、有明のコートに現れたときは太ももがテーピングだらけでしかも相手は世界一のシュティフィー・グラフ

誰もが伊達公子の負けを確信しましたが。

そのときも確かファースト大逆転でタイブレーク取り
セットの途中から伊達公子特有のあの低い姿勢からのライジングが爆発しだしました。

7-6, 3-6, 12-10 で破ることになり日本中が熱狂しました。

有明の観客席では、日の丸の大きな旗を持った松岡修造さんが、観客を盛り上げ走り回っていたのをいまだに目頭が熱くなる思い出はっきりと思い出せます。

伊達公子のウィンブルドン グラフと

そして、ウィンブルドン
この試合はいわくつきの試合と今でも言われています。

それは、1996年7月4日 - 5日の2日間にわたりメインコートで行われました。

ウィンブルドン準決勝
グラフと第1セットはグラフが 6-3 で先取したのですが、第2セットを伊達が 6-2 で取り返しました。

時間は遅かったのですがまだまだ試合はできる状況ではなかったかと言われています。
そこでグラフが審判に一言二言いうと、試合は日没順延になってしまいました。

伊達選手はスロースターターで有名であり
あの独特のライジングは、試合が進まないとテンポがなかなかあわずに、セットダウンしてから伊達公子の本領は発揮されることは選手ならみんな知っていました。

あんの上翌日再開された試合はグラフが6-3で勝ちを決めました

その年8月25日、アメリカ・サンディエゴのトーシバ・クラシックではサンチェスを破り優勝しています。

私は伊達公子のストリンガーの山森さんに伊達公子の最高の試合は?と聞いたら
フェドでしょ

僕はでもこのトーシバ・クラッシックのできが最高だと思います
ファイナル6-0
伊達公子のストロークは

まるでスマッシュのようにサンチェスのムーンボールをライジングでひっぱたき、サンチェスはベースラインから相当下がってストロークをしなければならなくなっていました。

伊達公子の引退


この年9月24日に現役引退を宣言しました。

WTAツアー年間最終戦の「チェイス選手権」2回戦で、当時16歳のマルチナ・ヒンギスに 1-6, 2-6 で敗れたのが現役最後の試合でした。

そのときは世界ランキング8位での引退でした。

このWTAが引退試合とセレモニーをしたことでも世界での伊達公子の価値がわかると思います。
日本では引退試合は行われなかったのでは?と思います。

クルム・伊達公子としての活躍はまた別のページで書こうかと思います。

伊達公子のラケット


伊達公子のラケットは高校時代か高校の後半からヨネックスのRQだったと思います
フェースは110のやつです。

今も同じラケットをカラーリングを変えて使っているという話を聞いたことがありますが相当重いことも確かだと思います。

あのスイングでボールを飛ばすためには、重くないと無理ですね。

グラフとのウィンブルドンの準決勝で、疲れていてストリンガーの山森さんにボールが飛ばないと言ったら、山森さんは「よし」と言って、普段45ポンドで張っていたストリングを35ポンドに落として渡したそうです。

伊達公子選手にはポンドは言わなかったそうですが、そのラケットとストリングでグラフとのフルセットを戦ったそうです。

当然ボールはよく飛んだそうです(これは山森さんから直接話をききました)



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